五百羅漢・文化遺産を建立し、群馬県沼田市の新しい観光名所を創る【四百年ロマン・プロジェクト】 ストーンズメドゥーサ

五百羅漢 文化遺産 群馬県沼田市 五百羅漢建設委員会【四百年ロマンプロジェクト】 ストーンズメドゥーサ

五百羅漢の歴史

五百羅漢の歴史 天領期(江戸時代)、石見銀山御料四万八千石の中心地、大森町三百水の地に五百羅漢が出来上がったのは明和3年(1766年)3月であると言われています。

五百羅漢の発創は時期的には判然としませんが、およそ元文年間(1736年-1740年)の頃、大森代官所役人で同心を勤める中場五郎左衛門定政で、定政はある日大森町の中心部の岩山にある観世音寺(真言宗代官所の祈願所)へ参詣しました。そこの石像十六羅漢を拝んで「これを生して五百躯の羅漢を安置したら、さぞ壮観であろう」と住職の月海上人に話したことから、数年を経て代官関忠太夫が赴任(1737年-1744年)、亡夫の冥福を祈るためと一躯を寄進し、続いて関代官所係のもの三躯が寄進され、これが五百羅漢の発端となった言われています。

羅漢は正式には「阿羅漢」と言います。佛教の究極の悟りに到達し、人々から尊敬・供養を受けるのに合いふさわしい境地に至ったものを言います。小乗佛教では佛弟子の最高の境地をさし、佛とは区別して使われていますが、中国や日本では十六羅漢などが知られています。

五百羅漢像はすべて福光産(現在の大田市温泉津町福光)の石像で笑っているもの、泣いているもの、説法をしているもの、天空を仰いでいるもの、布袋和尚に似ているもの、太っているもの、痩せているもの、等様々の面相と姿態は石見銀山御料内の福光村石工、坪内平七一門の手によって二十余年間の歳月が費やされて完成したものです。